本田雅一

今から13年前のこと。がん治療は現在ほど進んでおらず、13本のうち11本のリンパ管を右脇から取り除いたみえ子は、極めて厳しい抗がん剤治療を乗り越えねばならなかった。そんな様子を見た中治は、ひととおりの治療を終えて自宅へと戻ってきたみえ子と“2人だけ”で、最後の営業を行い、その食事の舞台を“可能な限り最高”にしようと誓った。 価値観を大きく変えた中治は、明日はないとの覚悟を決めた。そう覚悟を決めたならば、細かく素材の仕入れ価格を抑え、安全装置とも言える料理人の“コスト感覚”をいっさい無視したすしを握ることができる。予約はスカスカ。希少な高級素材を仕入れたからといって、利益を上げていけるのか、リスクは極めて高い。 安全装置を外した中治は、ひたすらに“最高のすしとは何か”を求め始めた。 2008年に『ミシュランガイド東京』が大田区にあるレストランも評価対象に加えると、たった2人だけで営業するこの店は毎回二つ星で掲載され続ける。が、利益はほとんど出なかった。そんな初音鮨が予約困難店となったのは「食べログ」を通じて評判が広がり、驚きと称賛がネットを通じて知られるようになった2015年からのことだ。